適菜収が「人類ダウンサイジング論」を提唱する理由とは?【近田春夫×適菜収】
【近田春夫×適菜収】新連載「言葉とハサミは使いよう」第5回
◾️「大は小を兼ねる」は本当か?
近田:必要な栄養素が含有されているならば、一生、自分が好きなポテトチップスの形の食材だけを摂取し続けていれば済むという状況になるかもしれない。
適菜:人類は大きくなり過ぎました。
近田:あのさ、「巨悪」って言葉があるじゃない? でもさ、俺、悪に大小があるというより、そもそも、巨であることイコール悪だと思うんだよ。だって、アリから見たら、象はその大きさだけで災厄をもたらす存在でしかない。
適菜:簡単に踏みつぶされちゃいますもんね。
近田:仮に何もされなくっても、ただでかいという事実が、ひたすら恐怖を与える。
適菜:道を歩いていて、大きな人がいたら怖い。
近田:うん。「大は小を兼ねる」って言うけど、俺、兼ねないと思うのよ。どれだけ洒落た美味しい料理でも、無闇に多かったり大きかったりすると、美味しそうに感じないじゃない?
適菜:その通りです。
近田:まったく同質のものでも、ある限界を超えて量が変わると、意味が変わる。
適菜:大きいとか多いということにより劣化するものもある。
近田:格闘技って、階級制があるじゃないですか。柔道なんかが典型的だけども、あれ、「柔よく剛を制す」って言葉が本当だったら、階級制なんて必要ないですよ。階級制が存在するっていうことは、柔は剛を制さないことを証明している。やっぱり、大きい者が勝っちゃうから。
適菜:柔道には無差別級の大会もあるけど、総じて重い方が有利ですもんね。
近田:ある程度のメジャーな格闘技の中で、階級制がないのって、お相撲だけなんですよ。それはすごいと思う。そして、もう一つすごいと思うのは、お相撲って、地面に足の裏以外がついたら負けだし、それだけじゃなく、土俵の外に出ても負けになるってとこ。みんな、それを当たり前のように受け入れてるけど、この二つって、よく考えたら意味が違うじゃん。大した知恵だなと思うんだ。
適菜:相撲は大昔はもっと暴力的なものだった。命を落としたりもした。
近田:そんな凄惨な殺し合いを、今みたいな興行に脱皮させるというセンスは、見上げたものですよ。日本人って、もともと西洋人に比べたら肉体的に貧弱ですよね。肉体的に貧弱な人間だからこそ、理想としては柔よく剛を制すってことだったと思うんだけど、それが無理だとなった時は、力だけじゃないところで勝ち負けを決めるルールを混入させた。それが相撲なんですよね。
適菜:他の格闘技とは違うと。
近田:そういう日本人の考え方は、上手く活用したらね、これからの未来、少しでも人類が長く生きるために役立つんじゃないかな。例えば、今、戦争ってさ、まず階級が下の兵隊が前線に送り出されるじゃない? それやめて、各国の一番トップの指揮官が出てきて、どっかに土俵作って相撲して勝ち負け決めるってなったらいいと思うんだ。そしたら人もいっぱい死なないしさ。
適菜:同じ土俵で戦うわけですね。
近田:その場合、世界で一番強い国は、モンゴルですよ。一見ふざけてるように聞こえるかもしれないけど、相撲に端を発するそういう発想を、世界に教えてあげたい。このぐらいの人を喰ったこと、誰か国連かどこかで言ってくれればいいのに。
適菜:プーチンは強そうですね。柔道やってたから。
近田:これからは世界の指導者がみんなマッチョになったりして(笑)。
適菜:それはよくないですね。マッチョはよくない。やはり、人類は小型化を目指すべきです。
対談:近田春夫×適菜収/構成:下井草秀
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